お盆
お盆の正式名称は[盂蘭盆会・うらぼんえ]と言います。
【仏教に於ける盂蘭盆(ウランバナ)の行事 ~ 地獄の苦しみをうけている人々をこの世から供養することの功徳によって、その苦しみを救いたいという行事 ~ 】と、【「昔からの今の自分があるのは、ご先祖さまのお陰である」と感謝する先祖崇拝の心】の二つが合体したものです。お盆の理念は、親族が一同に会し、先祖や故人を偲び、今日ある自分を顧みることだといえます。
お盆には、「盆礼」といって親族や知人の家を訪ねて進物の贈答をすることが行われ、関西では「素麺」、関東では「麦粉や米」などを持参する習慣があったようです。その「盆礼」を中元ともいい、今日の「お中元」に繋がっています。
初盆、新盆
故人の忌明けがすんで初めて迎えるお盆を「初盆(はつぼん)」または「新盆(にいぼん)」といいます。
亡くなってから初めて迎えるお盆なので、追悼の念も強く特に丁寧に供養します。お仏壇の前に「精霊棚(しょうりょうだな)」をつくり、決まったお供え物のほか、故人の好物なども供えるところが多いようです。棚には、真菰(まこも)を敷き、位牌を中心に香炉、燭台、花立、水の子(野菜を細切りにし洗い米とまぜたもの)、おがら、割り箸で足をつけたキュウリの馬とナスの牛(精霊馬【しょうりょううま】)、果物、団子などをお供えします。
なお、浄土真宗では精霊棚はつくりません。「死者は浄土に往生していることから、霊は還ってこない」とされているためです。
初盆には、親族が「白提灯」(初盆用の白一色の提灯に先方の家紋を入れたもの)を贈る風習もあります。13日には、先祖の霊が迷わないように迎え火をたき、墓参りして盆提灯に火をつけて迎えます。お盆の最後には、送り火をたいたり万灯流しを行うなどして、初盆の行事が終わります。
尚、長崎県内では毎年8月15日に「精霊流し(しょうろうながし)」が行われます。初盆の遺族が故人の霊を弔うために手作りの船を造り、この船を曳きながら街中を練り歩き、海や川へ流します(現在は実際に海へ流すことはせず壊されてしまいます)。各家で造られる船は主に竹・板・ワラを材料とし、大小様々です。
特に長崎市内では長く突き出した船首(みよし)に家紋や家名、町名が大きく記され、故人の趣味などを反映させたり、町内合同で「もやい船」を出したりします。8月に入ると、飾り付けにこだわった様々な造りかけの船が路上に多く見られるようになります。
初盆には、親族や友人・知人の方のお参りも多く、「お返し」の準備も必要です。
本多仏壇店では提灯・灯籠・精霊船などを格安でご提供しているほか、法要手土産品も取り扱っております。。お盆のことなら本多仏壇店にお気軽にご相談・ご用命ください。
除夜の鐘
12月31日、つまり「大晦日(おおみそか)」のことを、除夜といいます。このとき、梵鐘(ぼんしょう)を百八回ならすのを「除夜の鐘」といいます。百八回打つのは、人間の煩悩が百八あるからだといわれております。
鐘を鳴らすことは中国の宋の時代に起こったもので、その打ち方は『勅修清規』に「慢(よわく)十八声、緊(はやく)十八声、三緊三慢共一 百八声」と記されているようです。普段は略して18回打つのもその現れです。
「108」という数字について
人間の六根(ろっこん)【眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)】と、その対象である六塵(ろくじん)【色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)・法(ほう)】にふれるとき、6つそれぞれに、
①好(気持ちがよい)、②悪(いやだ)、③平(何も感じない)の3種の感覚を生じるので、6×3=18の煩悩が起こります。
加えてそれぞれ、⓵染(きたない)、②浄(きれい)の2種があるので18×2=36となります。
さらに、⓵現在・②過去・③未来の3つの時間が関わって、36×3=108となります。
これが、108の煩悩だといわれています。
その数だけ鐘をついたり、その音を聞くことで、この一年自分の身を煩わし心を悩ました煩悩を除くと伝えられています。
一方で、1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて108とし、108という数は煩悩ではないとする説もあるようです。
いずれにしても、鐘の音は仏の清らかな声、仏の教え。その鐘の音を聞くことによって、この1年に作った罪を懺悔し、煩悩を除き、清らかな心になって新しい年を迎える。除夜の鐘は、そんな行事のようです。
お正月
「正月」は、本来1月の別名ですが、現在は「三が日」(さんがにち:1月1日から1月3日まで)または「松の内」(一部地域を除き1月7日まで)を指します。
お正月は「神社に初詣」のイメージが強いですが、お寺への初詣も大変良いことです。大晦日の深夜から年明けにかけての参拝は「二年参り」といってより功得が積めるとも言われます。できれば菩提寺にお詣りして和尚さんにご挨拶し、ご先祖様のお墓やお仏壇にもお参りをしましょう。お墓参りはお彼岸やお盆だけに限ることはありません。
年末に除夜の鐘を聞きながら一年の反省をし、年始にご先祖様の前で一年の計を立てる。心やすらぐお寺で、家族が一同にそろい普段では話せないことや、お互いの思いをみんなで分かち合います。
亡くなって初めてのお正月を迎える
「盆と正月」というと、かたや仏事、かたや祝い事として定着していますが、元々はどちらも先祖を迎える「みたま祭り」だったようです。その中でも、まず、一年の最初の満月の夜(正月)と、一年の真ん中の満月の夜(お盆)は、古くから亡くなった人の魂が訪れるとされおります。「お正月」の仏教行事は特にありませんが、故人が亡くなって初めてのお正月を「初正月」として、追悼の念も強く特に丁寧に供養して、お寺参りやお仏壇参りをするようです。
最初のお正月は年賀状を出さない
親・兄弟・子供(自分を中心とした一親等【父母・配偶者・子】)や生計を共にしている二親等(祖父母・兄弟姉妹・孫)が亡くなった時は、最初のお正月には年賀状を出しません。その場合、通常なら年賀状を出す相手へ12月初旬に「喪中欠礼はがき」を出します。これは、「喪中につき、新年のご挨拶を失礼させていただきます」というお知らせです。
慶事を避ける意味でのお知らせですから、文面も「祝」「賀」「慶」「寿」など、年賀状ではおなじみの、おめでたい文字は使いません。
また、「喪中欠礼はがき」が届いた場合は、その相手には年賀状を出さないようにしましょう。
お彼岸
お彼岸と言えば墓参り。大半の方は、こう連想をされるのではないでしょうか。
正しくは、「彼岸会(ひがんえ)」といい、春分・秋分の日をはさんで前後1週間、先祖をうやまい、亡くなった人を偲んで、先祖の供養をしたりお墓参りをする行事です。
人々は多いが、彼岸(かなたの岸)に達する人は少ない。他の多くの人は此方の岸の上でさまよっているという『法句経』(第八十五偈)に代表されるように、お釈迦様が用いられたたとえで、「彼岸」とは悟りの世界、「此岸」とは煩悩の世界をあらわします。
そして此岸と彼岸の間にあるもの、つまり理想をめざすときの障害は、「むさぼり」、「怒り」、「愚かさ」という三つの拭いがたい煩悩です。それらを乗り越えて、彼岸に到達するために、
- 布施(ふせ・ほどこす)
- 持戒(じかい・つつしむ)
- 忍辱(にんにく・我慢する)
- 精進(しょうじん・励む)
- 禅定(ぜんじょう・心を鎮める)
- 智慧(ちえ・本当の智恵をみがく)
という、六つの実践(六波羅蜜)を勧めています。
ですから「お彼岸」は、先祖(死者)のためではなく、仏の世界に行くことを願って行いを慎む期間なのです。この期間には、寺院では「彼岸会」などの法要が催されたり、念仏や題目の講が開かれます。
お彼岸には、仏壇・お墓を丁寧に掃除し、また墓参りするのが習慣でありますが、本来は「先祖の墓参りをする期間ではなく『悟りの世界へ至る道』を問い聞く期間」です。お寺での法要に参加しましょう。忙しくて時間がない場合でも、本堂のご本尊へのお参りとご住職への挨拶は欠かさないようにしましょう。
おはぎ と ぼた餅
お彼岸には、団子をつくって供えることは日本中広く行われています。「おはぎ(ぼた餅)」も、お彼岸の時どこの和菓子屋の店頭にも並ぶものですが、秋の彼岸(萩の咲く頃)は「おはぎ」、春の彼岸(牡丹の咲く頃)は「ぼた餅」と呼ぶようです。
このほか、精進料理、五目寿司、茶飯などを作ってみんなで食べたり、 お仏壇にお供えする風習があります。